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父親ががんと宣告されたのは、もうかなり進行していたあとでした。

父親は病院嫌いだったため、かなり酷い自覚症状(下血など)があったにも関わらず、どうしようもなく我慢できない痛みになるまでほっておいたため、一度は治るもすぐに転移して、ほぼ母親が毎日付ききりでの入院生活でした。

家族や親族が総出で毎日入院生活の補助をしました。

最期の方はしゃべることもできなくなり、父親の思いを十分くみ取ってあげられたのかな?と、患者の気持ちに寄り添うのが最も難しいと思いました。

しゃべれる間は、痛いことを伝えられても、どれくらい痛いのかもわからず、常に看護士さんに相談しながら痛み止めなどを使ってもらいました。

おそらく健康な自分には想像できない痛みだったのでしょうから、専門家に頼るしかありませんでした。

しゃべれなくなってからは、ひらがなのボードを作り、文字を指してもらったり、手も動かせなくなった時には、こちらで指す文字にうなづきで探っていったりしました。

あとは、複数の人間で付いてあげることで、看病する人が抱え込んでしまわないように気をつけました。

どんな小さなことでもいいので、気になると思ったらがんマーカーでも別の検査でもいいので、すぐに病院で調べてもらってください。

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